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愛はたやすくむずかしく

ねじ

ペットを愛するもののはしくれとしてヒトは修養を重ねてきたつもりではあるけれど、刹那刹那にはトリに本当に腹を立てることもある。そんなときまず考えるようにするのは、「でもうちにいるのが、陰気で湿っぽくてずるずる粘液ひきずって移動するような習性で、血が青くて冷たくて腐臭がして光が嫌いでおまけに『キシャー』とか『シュコー』とか鳴くヤツでなくて良かったなあ」ということだ。ああそうだよ、大目に見るのは簡単だよ、何をしでかしたとしたって、所詮ふわふわでぬくぬくしたこのぴいぴいどもがやらかすことなのだから。

(ヒトの脳内には多分に偏見が息づいています。陰気で湿っぽくてずるずる(以下略)タイプの生き物を偏愛している方が、よもやとは思いますがこんなところをお読みになったとしたら、それはそれで大変申し訳ないことを書いているという自覚はあります)

そんなこんなで少し平静を取り戻した後、「ではこのねじ(さじ/ギイ/メエ)の外見が、何かの間違いで陰気で湿っぽいずるずる生物のに変容をとげてしまったら、そして中身がねじ(さじ/ギイ/メエ)であることを信じずにはいられない証拠があるとしたら、どうするのだろう」とよけいなことを自問して、ヒトは頭を抱えることがある。長年一緒に暮らしていて、いまやヒトはふわふわでぬくぬくでぴいぴいだからという理由だけで、このそれぞれの名前のトリたちを愛しているのではないはずだからだ。ヒトもトリも、何を失ったら、どこまで変わってしまったら、もうそれそのものと見なすことができなくなるのだろう。

そんな答えの出ないことを考えていると、子供の頃から気に入らない「美女と野獣」という物語を思い出してきて、いつしかヒトはぷりぷりと腹を立て始める。野獣が王子になって美女は幸せめでたしめでたし、ってあまりにバカにしていないですか? 「昔王子だった野獣」であることによる屈折した心境を失った瞬間に、そののっぺり顔(に違いない)の悩みなき(←偏見)王子はもうベルの愛した相手とは別人ではないでしょうか? どうしても大団円に至らせたいなら、多少なりともそこいらへんのヒロインの葛藤を描くべきではなかったですか? えっ? ボーモン夫人よコクトーよ。ぷんぷんぷん(ヒトには、エレ・コンとかアニムスとかは理解不能だ)。かくしてヒトの頭の中の物語では、「美女と野獣」はいつもベルのかなしい絶叫で幕を閉じることになっている。「野獣を返せーっ!」

・・・そこいらへんで、ヒトはようやく我に返るのだ。何にこんなに怒っているんだっけ?

ねじ「キシャー」

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2007年01月21日 12:22に投稿されたエントリーのページです。

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