2009年06月01日

ねじの日再び

やあやあやあ。

またねじの日がやってきた。あれからもう1年経ったなんてねじもきっとびっくりだ。ヒトもトリたちもみんなひとつ歳をとったよ。まだここを読んでくれてる奇特なあなたもきっとそうだ。どうもありがとう。

さじ

さじはあいかわらずさじのまんま、最愛の趣味はまだひもかじりだ。ロープの先端をほぐして唾液と共にぐずぐずと毎日毎日大事にかじって、ちいさいこぶをいくつもこしらえる。こうして長いことかけてできあがった貴重なひもオブジェ(お世辞にもきれいとは言いがたい)はメエギイ姉妹にもなぜか人気で、放鳥中はさじから取りあげて遊んでいる。とは言えこの2羽はけっして自分たちでそんなオブジェを作ろうとはしない。もともとふんわりほぐほぐ派なのに、さじオブジェには抗しがたい魅力があるらしいのだ。もちろんヒトにはちっともありがたみがわからないので、ときどき「もういいだろうよう」とつぶやいて結んであったオブジェを真っ白なロープと付け替えてしまう。するとね。さじさんはちっとも気分を損ねずに、新しいロープをまた嬉々としてかじり始めるのだよ。

パセリと格闘1 パセリと格闘2
パセリと格闘3 パセリと格闘4

葉っぱでの水浴びが一番好きなのもやっぱりさじさんだ。特にパセリにそそられるらしく、目にしたとたん挙動があやしくなって飛びついてくる。さじさんの語彙にはないはずの「うっひょー」というこころの声が聞こえてくるようだ。それから、ぽきぽきと折られていくパセリの小枝のか細い悲鳴とそれに呼応してただよう緑のよい香り、そしてぬれ雑巾みたいになり果てながらもぶくぶくふくらむ、このちいさい青いトリのよろこびを想像してみてほしい。

メエ

顔トヤがまだ終わらないメエ。実のところ、5月のヒトのこころには、今年もまたトリに良くないことがあるのではないかといういやな思いつきが染み込んで、ぬぐってもぬぐっても消えてくれなかった。具体的な理由があるわけではない、でも漠然と心配していたのはさじのことで、トヤ真っ最中に体力が落ちたときには何もかにもが悪い兆候に見えたりもした。

そんなヒトにあさっての方角から現実を突きつけたのがわれらがおねえちゃんだった。発覚は忘れもしない5月10日。伸びをしたメエを見ると、左の風切り羽根でちょうどきれいに覆われていた部分に1円玉2枚弱の地肌が丸出しになって、仰天した。真っ赤に充血していて触れると何か吹き出しそうに痛々しい。以下、当日に動転しながら書いたものを引用する。

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現実はいつもヒトの貧困な想像力をかるがると飛び越える。

今朝おねえちゃんの毛引きが発覚した。そう来たか!とヒトは天を仰ぐ。

飛んでいる後姿を見るとはっきり該当部分が目に入るので、昨日まで分からなかったのはどうかしている。ただし、ちょうど左のつばさに隠れる部分なので羽根を広げなければちょっと気づかない。数日で一気にやらかしたのかも知れないとも思う。癖にならないように一時的なもので済むように、と願うヒトを尻目に、トリの方はいつものごとく妹に向けてときどきぴりぴりしている。ヒトはあんまりヒトを責めずにできることを考えるように。気分転換用のコットンロープのバーチ等を数本購い、しばらく要観察。広がるようなら通院を。しかし結局メンタル面での飼い主のケアにかかる部分が大きいのだ。

そう来たか!ともう一度思う。
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あんまりのこころ細さに、プロ(鳥の病院)にすぐ相談することを考えた。けれど強いて落ち着いて考えてみると、ヒトがそのとき一番恐れていたのは毛引きの習慣が定着してしまうことだった。そして、以前ある鳥の病院に連れて行って、結論から言うと必要なかったと思われる手当てを行った結果、この神経質なおねえちゃんのこころがどのように荒れて、それまで信頼していたはずのヒトに向かってきたかを思い出した。ヒトはゆっくり息を吐いて吸ってみた。

トヤ中であっても普通綿羽まできれいにまるく抜けることはない。やっぱりこれは毛引きだろう。怪我した後を気にしてつついているうちに癖になることがある。まずそれを疑おうと放鳥中のおねえちゃんのまわりをぐるぐるまわって観察を続けたが、飛行や行動に影響が出ている様子はない。機嫌も悪くない。ただ、地肌が見える部分の風切り羽根の内側に薄いピンクのシミが認められた。それは怪我からの血痕ではなく、傷んだ皮膚から染み出てきたもののように見えた。

様子を見よう、いつもより少し丁寧に相手をして後は普通に暮らそう、と方針を決めた後も、ヒトはやっぱり不安だった。メエはヒトやトリとのつきあいも普段どおり、食欲も元気もあるように見えたけれど、ヒトの方は外出する度に、帰ってあの赤い地肌が拡大していたらどうしようと考えていた。ふわふわしていない赤いおねえちゃんがうずくまってる姿を想像して自分がいやになった。それでも努めて明るくトリに声をかけることにし、メエが伸びをすれば向かって右下に回り込み「見せてっ脇の下見せてっ」とトリ脇フェチ道を驀進することになった。

さてその後の数日で、赤かった地肌はだんだん白っぽくなり始めた。ちょうど伸びてきた筆毛が地肌の上側にかかりかけていて、メエが抜いたのは綿羽だけだったのかもとヒトは思い始めた。毎朝全力で脇の下をほめたたえられるせいか、メエもややおだやかなおねえちゃんぶりでのしのししていたし、そのうち地肌が隠れ始めてヒトの気持ちも落ち着いてきた。3週間経った今では、左の翼をあげてもそこに赤いおハゲがあったとはもう分からない。幸いなことに今回は経過観察で一段落したように思える。でもこの物語がここでめでたしめでたしかどうかは、今後のヒトとメエさんにかかっているんだろう。

ギイ

遅くなってしまったが、びよちんことギイも元気だ。写真は逆光だね。

このちいさなトリたちにも立派な嗜好があって、さじならキッチンペーパー、おねえちゃんだと耳かき綿棒、そしてギイの場合は動く歯ブラシの先端が偏愛の対象だ。あわただしい朝の時間にこのロープの上で休むトリたちに近づくと、ギイはくちばしを半開きにして魔法がかかったような目で、ヒトの口元で忙しく動くピンクだのブルーだののしゃかしゃかを凝視する。おびえて警戒しているなら縮こまったり威嚇したりし始めるはず、でもこのトリの首はじわじわじわじわ伸びてきて、でも決してしゃかしゃかに本当に触れてみようとはしないのだ。かわいいおばかさんめって、ヒトは毎朝思わせてもらえてる。

そんなこんなでこのヒトも元気ですよ。でもね、つい昨日なんだけれど「ああヒトは喪に服してたなあ」って実感が不意に生まれてね。かなしむだけかなしむ時期も、気持ちを押し込めてやり過ごす時期ももう過ぎたから、後は好きなようにただやっていけばいいんだと思ったんだ。そしたらね、今朝の職場の打ち合わせの机上に、本当に本当に久しぶりに、ぱたぱたとちいさい足音を立ててねじがやってきた。そしてほんのしばらくの間ヒトの鼻に両足でかじりついて、さすがに痛いんでだめじゃんって振り落としたら、そのまままたどこかにぺたぺた歩いていった。

この1年にふたをしていたもろもろが噴水のように吹きあがる。そうできるようになったら自分のペースでいろいろな思い出をトレースしていこうと思う。そして、見たいものがときどき見えても大丈夫、それでいいんだろうって今ヒトは思っている。

今日は「ねじの日」だからって、職場で写真を撮ってもらおうとNEJI Tシャツを持っていったのに何やかんやで着そびれてしまったんだ。それだけが心残りですよ。

2008年09月17日

趣味つながり

ご無沙汰です。トリ3羽とヒトは元気にしてましたよ。

最近さじさんに新しいひもかじり仲間ができました。黄色い顔です。

さじギイ

ヒトちょっと泣きました。

ここにもう1羽いたらどうだろうってやっぱり考えちゃうね。今日はここまで。

2008年07月13日

ねじのいない日7

ほら、ちょっと居眠りしてたり油断してたりしたトリがこちらの気配を察したときの、あの「ん、何だ何だ一応スタンバイしとくか」って感じで両方のつばさを上にぐーっと持ちあげる、あのしぐさをご存じだろう。

最近さじの伸びを背中側から見て今更ながら驚いた。そっくり返った羽衣がきれいにたたまれて一瞬まったく見えなくなって、そして伸びが終わったら何事もないようにまた現れるのだ。いや、当たり前だと言えば当たり前なのだが、そもそもねじさじはぼーっとしているときでもたいていヒトの方ばかり向いていたからなあ、寝起きの後姿自体が新鮮なのだ。

今日のトリスペースの室温は30度。さじさんはくつろいでいるが、彼の体温でヒトの手の甲は焼けつくようだ。いつの間にこんなに夏なんだとヒトは途方に暮れる。

さじ


最近メエギイとさじさんはお互いに群れ認定しあったらしく、放鳥時にだいぶ歩み寄るようになった。青いトリに飛びかかっていたあの暴力狩猟姉妹が、ミドリのトリを見るとぶるぶるとふるえていたあの羽衣が、と思うと実に感慨深い。群れなんだからメエギイが飛ぶとさじさんも一緒に飛び立つし、さじさんが飛べばメエギイだってついていくわけで、結果、みんなの運動量がだいぶ増えてきた。

さじ

もうここにいないへったくそな飛び方のトリのことを、やっぱり今日も考える。

2008年07月06日

ねじのいない日6

ねじの不在にも、ああ何ということだ、慣れてきてしまった。でもちゃんと向きあうことはできなくて、まだヒトはねじの死のまわりを近づいたり遠ざかったりしながらただぐるぐるとまわっているだけだ。とは言うものの、今朝は「自分がつらい」ことのほかに何か書きたいと思うので、こんなところに迷い込んでくるトリありトリなしの奇特な方々のしやわせを祈りたく存じます。良い一日でありますように。良いトリたちでありますように。

さじさんはあれほど抵抗を示していたメエギイとの放鳥にもだいぶ慣れて、健気にもあまりヒト側にすがって来なくなった。だけど外でのんきに羽づくろいなどしているとすばしこいメエギイにあっという間に自宅をのっとられてしまうよ(が、まだ事の深刻さに気づいていない写真)。メエギイも昔よりだいぶまるくなって、もうさじの退路を完全に断ったりしない。トリはヒトの予想以上に柔軟だった。

さじメエギイ


あれはさじのうちなのに。

さじメエ


がんばって取り返して安堵。メエは憮然としている。

メエさじ


今週のねじの花。竜胆の青はねじの背中と腰の色だ。

ギイ


最近繰り返すのはTomovskyの「脳」と「骨」ばかりで、言い得て妙とはまさにこの歌あの歌。自分を笑える限りヒトは大丈夫だと思いたいですよ。

2008年06月28日

ねじのいない日5

さじ

最近さじさんは、大事な趣味である紐かじりの時間を削ってまで、全身全霊をあげてヒトにお説教してくれている。曰く「群れはいっしょにいないとだめなんだ」。

ヒトの気配をちらりとでも感じると、さじさんはケージの定位置=左手前角までよじ登っていく。そして、両足をじたばたさせてステンレスの網目に頭のぼさぼさを限界までめりこませてから、くちばしでケージの縦棒をくわえて頭を上下させ始める。ケージの扉を開けろ、という若ドリ時代からのジェスチャーだ。放っておくとかしゃかしゃかしゃかしゃいつまでも音を立てている。

相手をできないときにはヒトはケージ越しの顔かきでお茶を濁そうとするのだけれど、時間の許す限りごしごしかいてやってもさじさんは決して満足しない。そしてこころを鬼にして知らんぷりしてみると、かしゃかしゃはエンドレスで続くのだ。ヒトがいない間もこんな具合だったらどうしようとそっと物陰に隠れて観察してみたら、ヒトが視界からはずれているときはお休みして、現れるとまたはっとして再開した。どうも、さじさんからは見えるのにヒトがあっちにいるというのが一番けしからんようだ。

こんなときはケージの扉を開けてやるとそれで気が済むらしく、ヒトがあっちに行こうがもう構わずにのんびり羽づくろいなどに励みだす。傍に行く気になれば好きに行ける状態ならいいのだ。ときどき呼びかけて、お互いの居場所が分かればいいのだ。とは言うものの、休日と言えど一日さじさんと一緒にいるわけにもいかないので、今日などはヒトは自宅で息をひそめて過ごす羽目になった。隣にミドリたちもいるだろうによう、と思わないでもないけれど、やっぱりそれは別の話なのだ(恐怖のメエギイと同じケージに入ってもらったら、それはそれでやっかいなことになる)。

やっぱりさみしいよな、さじさん。ほんとごめんな。


さじ

今週ヒトは仕事の帰り際から夜半にかけてひどい気分になる日が多かった。自分でもあんまりだと思って、ある日などはそれを逆手にとっていつまでもいつまでも職場にいてみたら、いろいろな余裕を使い果たしてぐるりと一周してしまったのか今度は妙にテンションがあがったのだけれど、そんなことを毎日やっているわけにもいかない。朝が来るとそれなりの時間に目を覚まして出かける気がわいてくるのがまだ救いで、このサイクルが途切れてしまったらどうしようとめずらしく不安になった。

写真でさじが踏みしめているのは、缶に入った大きなカステラである。ついに元気が出ない朝が来たらこの缶をぱかりと開けよう。それから平行にきれいにナイフを入れて、端っこからいやになるまでカステラをどんどん食べよう。そうして胸いっぱいにカステラがつまったら、歯をみがいてからヒトは仕事に出かけるのだ。勝手に追い詰められて何だか妙な対策を編み出したものだと自分でも思うのだが(実を言うとヒトの考えることはふだんからよく分からない方向へ逸れてばかりいる)、カステラを買ったときのヒトは本気も本気だった。その後出番まではねじに預けておこうとお供えしておいたら、昨日さじさんに見つかってしまったよ。「群れ」の中で隠しごとはできないね。

昨夜はそんなことやってる場合かとか何とかいろいろ迷うところもあったのだけれど、結局えいやっと職場から離脱して不思議な六月の夜に行ってきた。別に何かを我慢してたという意識はないものの5月半ばからこっち遊びに出かけることはなかったし、それどころじゃないのにヒトはもう何やってるのかなあという考えがずっと消えなかったけれど、青いライトがともるたびにトリのことも思い出したけれど、でもやっぱり楽しくてね。それから思いもかけず生の「ひとだま音頭」が聴けて、それがまたすんごく良くてね。ライブハウスってみんなおんなじ方を向いてるからいいよね。やっぱりヒトは泣きましたよ。

疲れて帰ってそのまま寝てしまって、休日の今朝ヒトはだいぶ寝坊した。起きてコーヒーを淹れていたら新しい豆がやけにふくらんで、トリたちは相変わらずぴよぴよと鳴いてさじさんはかしゃかしゃやっていて、そしたらだんだんまあいいやと思えてきたので、缶を開けてむっつりとしたままカステラをたくさん食べて、ヒトはも一度寝直すことにした。昨日4時間突っ立ってられたくらいなんだから、大丈夫でないことはあるまいよ。ねじのいない6月はまあこんな具合に過ぎていきます。

2008年06月21日

ねじのいない日4

小さな庭に向かう二十畳ほどの座敷の隅に座って、ヒトはぼんやりしていた。こじんまりした庭木には人の手がきちんと入っていて緑の色が濃い。夏のような強い日差しが箒の目の通った砂の上に落ちているけれど、開け放した戸から入ってくる風はいい具合にまだ涼しい。空の色はだんだん薄くなっていく。まあ悪くはあるまい。もう何度目か分からなくなってるけれど、そんなことをまた考える。

と。

濡れ縁から落ち着いた足取りでのっそりと座敷にあがってきたのは、大きなシマの猫だった。その口元からは、何ということだ、茶色いすずめのつばさが半分のぞいているのが一瞬で見て取れた。一度直視してしまって、もう二度と見返さないことにする。

座敷にはほかにも何人か座っていたのだけれど、トリ飼いはほかにはいなかったようだ。猫は人の間をぐるぐるとまわる。きゃあと誰かが言って「見せに来たんだ」とまた誰かが言って、まあ猫のやることだからしかたあるまいねとみんなが思っている。ヒトはあまりの間の悪さに動揺して、ここは憤慨すべきところかどうかしばし真剣に考えた。

でも、あんまりだけどこんなものだよ。

バランスを取るために行きずりの猫を憎むこともできたけれど、そんな気持ちにはならなかった。分類不能な状況や感情に面したときに、「おもしろい目にあっている」というタグをつける習わしはいったいいつから身についたのだろうね。あれもひとつの、これもひとつの命だ。

そこで名前を呼ばれてヒトは立ち上がったので、その後猫とすずめがどうしたのかは分からない。「火事場の馬鹿力で生き返らないかと思う」というそれそのまんまの歌(たま「牛乳」)が脳裏に流れるのではないかと少し前から恐れていたのだが、結局そんなことは忘れていた。

そう、晴れて暑いくらいの午後だった。あの翌日の話である。

2008年06月19日

ねじのいない日3

病気のことが分かってからねじがこの世で暮らした日数より、ねじがいなくなったその後の日々の方がもう長くなってしまった。驚くべきスピード、驚くべき希薄さで時間は流れていく。

職場は職場、ウチはウチ、で気分を切り替えてヒトはずっとやってきたはずだった。もともとヒトはあそこでは象が踏んでもこわれないくらいに思われている。家では時々まだ泣くけれどそれはそれだけのことだと思っていた。というわけで、昨日はつい魔が差したのだろう、遅い時間にひとりでぼんやりと働いていて、ふとねじの最後の日の動画を見てみることにしたのだ。

粟の穂をかじるトリを上から見下ろしている。その前日から調子がうんと悪くなって、それはヒトが気をつけてやれなかったせいだった。寝て起きてを繰り返し、意識が戻ったらそれでも食べよう食べようとしていて、それは本当にもう危機的な状態になっていたからで。この後結局半日しかトリは生きられなかった。ヒトはトリのためにもう何もできやしない。そこまでするする考えてしまったら、前触れもなくぱたぱたと軽い音を立てて手元に涙が落ちてきた。

ああやってしまったね。やっぱり平気になぞなっていなくてそれは当たり前のことだった。広げてしまった風呂敷の角をあわてて夢中で寄せ集めて引っくくって、さあここから今は逃げていこう。こんなときには、そうこんなときこそ、鼻歌を。

 夏の夜空を見上げれば
 北斗の七つ星
 ぐるぐる渦巻いてこぼれちゃう
 ひかりのしずく

帰って玄関を開けたら花のにおいがした。見ると、今朝はまだとがったつぼみだらけだったフロックスが景気よく咲いている。しげしげとながめていたら花のつけねはうす赤色で、つぼみが頭の筆毛に見えてきた。開いた白の花は、亡くなる前のトリのふさふさした後ろのつむじによく似ている。いくつものいくつものいくつもの白いつむじだ。一昨日店頭にめぼしい青の花がなくてまあいいかと買ってきたにしては、上出来のお花ではありますまいか。

 ハァおばけちゃん
 ゆうれいさん
 ちょいと帰ってきてちょうだい
 どこかで息をひそめてる
 みんなもついでに
 ほーい、ほーい 出ておいで

ねじがいなくなった後、ヒトは花を飾って、毎朝そこに粒餌と粟の穂と青菜と水を供えている。われながららしからぬことをやっている、という自覚はあるが、気持ちの行き場を一箇所にまとめておいて何かすることの手順を決めておくと、確かに落ち着く部分がこのヒトにもあるのだった。それでお墓や何やの効用についていまさらながら感心したりもすることがあって、この歳でそんな自分はやはり人間としていかがなものかと思わぬでもないけれど、それはまた別のお話。

 かえる みみず おけら もぐら
 ねずみ むかで とかげ げじげじ

げじげじと一緒にしたって、まあねじは怒るまいよ。

フロックス

 ちょいとしゃがんでのぞいて見た
 お花のまん中に
 ちょこんとしゃがんで見えるのは
 オヤわたしの背中

「ひとだま音頭」知久寿暁

2008年06月11日

ねじのいない日2

さじ

今週はいろいろつけがたまっていて、帰りの遅くなる日が続いている。家に戻ってきたときにはだいぶ疲れて気持ちも弱っていて、紫の花を投げ込んだ花瓶の前にぺたりと座ってしばししくしくと泣く水曜日。騒ぎに起き出してきたさじさんに顔を寄せてみたら、不意にすうすうとヒトの眉間に涼しい風が吹いた。そうだった。さじさんは我が家で一番鼻息があらいのだ。すうすうすうすう。

あの日、ケージの中のさじに会わせようとねじを連れてきたとき。感動のご対面になるはずが大真面目な顔をしたさじさんの鼻には実に立派な綿羽がひっついていて、ふわりふわりと鼻息に揺れていた。そう、それはねじの最後の日のことだ。さじさん、ここもあそこも笑わせる場面じゃないのに。

ありがとう。

一昨日のことだったか、デジタルカメラで撮ったトリの動画を見返していたら、さじは聞こえてきたオスインコのさえずりにかわいそうになるくらい喜んだ。カメラのまわりをぐるぐるぐるぐる駆けまわり、しまいには上に飛び乗ってぴよぴよぴよぴよのどを鳴らして呼び返す。うれしそう。幸せそう。でもさじさん、本当言うと再生してるのは君の動画で、聞こえているのは君のさえずりだったんだ。

ごめんな。

2008年06月07日

ねじのいない日

1週間経ちつつある。ヒトは、もう年の功だろうね、その気になれば気持ちが流れる管のバルブをぎゅうと閉じてある程度は過ごすことができる。今週はそうやって何かを堰きとめて平日を送ってきた。たぶん職場ではふだんよりへらへらしていたくらいだ。そのかわり、帰ったらトリを慰めるという建前のもとにトリに慰めてもらっていた。そんな毎日。

ねじの死の前日はmixiの方にだいぶ記録をつけていた。当日のメモはまだ私のPCの中にある。写真も撮っている。これらを整理したいとは思っているのだけれど、この2日間の対応がねじの寿命を縮めたという気持ちがどうしても立ちふさがって、今はまだ気力がついていかない。保留にさせてほしい。

代わりに、ねじがいなくなった後の話を少し。

6月1日、ねじを荼毘に付した。息を引き取ってからまる1日手元に置かなかったことになり、決めてからも済ませた後も自分が冷酷なヒトであるという気持ちがぬぐえないでいる。とは言え、ねじのなきがらのもとにはもうねじはいなかったし、長いこと手元に残してねじのかたちをヒトがヒトを責める材料にするのはかえってねじを粗末にするように思えた。

その日は久しぶりに晴れた明るい1日だった。翌日は友引で火葬場はお休みのはずだった。それでやっぱりねじと一緒に電車に乗って出かけることにして、途中何度も「今日の空はさじ色」と考えたことを覚えている。つい昨日になって知ったのだけれど、この6月1日はヒトやねじが生まれるずっと前から「ねじの日」だったらしいよ。だからまあ結局これで良かったのじゃないかとヒトは思っている。

それから、ちょうどねじの不調に気づいた頃に申し込んでいたネジTが昨日着いた。

ねじT

ねじT

すんばらしいではないか。足りないものなど何ひとつないではないか。この夏はこれを着てどこかに遊びに行こうと思う。このタイミングでこのTシャツを販売してくれたバドンさん、本当にありがとう。まことに勝手ながら運命を感じている。ラヴアンドぴよ。

他のトリはと言うと。

やっぱり気になるのはひとり住まいになったさじだけれど、わりにドライなタチのセキセイという生きもの、そしてもともとのさじ自身の性格もあって、どすんと落ち込んでしまっている様子はない。それでももちろんやっぱりさみしいのだ。朝晩はさみしいヒトに良くつきあってくれて、顔をかけかけと迫ってくる。隣のケージで粟穂をかじる気配がするとさじもぱりぱりと粟穂をかじり、隣で羽づくろいが始まると思い出したようにさじも羽づくろいを始める。しんけーしつになっているヒトに毎日お腹をなでられて迷惑そうな顔をして、そして相変わらず青菜を踏みしだいては水浴びに勤しむ。ああ、みんながいてくれて本当によかったとヒトは思う。

さじ

さじ


ミドリびよたちは換羽でぼさぼさだ。それでもギイはこぎれいで、メエはやっぱりとげとげぼこぼこが激しいのはどうしてだ。加減が分かってきたのか、放鳥中さじさんを追いつめすぎなくなってきた。この調子で頼むぞ。

ギイ

メエ


ねじの闘病中は、出先でつらくなるとずっとたまの曲を聴いていた。特に「ハダシの足音」は病気のトリを見ているヒトの歌としかもう思えない。今年の連休にこの人たちが解散後初めて一緒に舞台にのぼる機会があって、ヒトは千倉というところまで出かけたのだった。演奏を聴いてソロのCDを1枚買って、握手をしてもらったその手が意外なほど温かかった。それから都内でのソロライブにも行ったな。ありがとう滝本さん。この曲を後でまたこんなに聴き返すことになろうとは思いませんでした。それからこの2曲にも助けられている。

mixiでのトリの友達たちには思いもかけない贈りものをいただいた。この1週間、いろんなところでねじの顔を見ることができた。本当に本当にありがとう。

ヒトはきっと大丈夫。そしてだんだんもっと大丈夫になっていくはず。でも世界よ信じられますか。あんなちびっちょがもういないだけで、ヒトがこんなにかなしいなんて。

ねじ20070818
(ねじ:2007/8/18)

2008年06月01日

ねじ

昨晩20:00過ぎに息を引き取りました。6歳2ヶ月。勝手に決めていた誕生日は4/1だったので、3ヶ月目には1日足りなかった。

つききりではなかったのですが、最期には立ち会えました。最後の最後までも少し時間はあるとヒトはたかをくくったままでした。ふっといなくなってしまった。あんなにがんばっていたのに、そのときは本当に本当にあっけなかった。

ヒト月くらい引きこもって何にもせずに泣いていたい所ですが、今日から事務的なことを淡々と済ませていこうと思っています。薄情なヒトで本当にごめんな。でも、残されたトリたちが、まあ朝になったらとりあえず羽づくろいしてご飯を食べるもんだぜと教えてくれています。

ねじの病気、特に一昨日からの経緯は、ヒトがもう少し落ち着いてから書かせていただこうと思っています。みなさん読んでくれてありがとう。