ねじ様のお話
うちのヒトはしやわせな生き物だ。
トリの顔を見るたびに「朝っぱらからこのびよびよちゃんめー」などとのーてんき甚だしい。われら4羽がそろってぴよぴよ鳴くから毎朝日が昇るとゆーことも、いまだに知らないらしいのだ。この分では、地球がすべてこの双肩にのってるから、ねじが気を抜いてそう簡単に痩せるわけにいかないことなんか、そーぞーもできないのだろうな。
もっと感受性を鍛えたまえ。身体も心も使わないと衰えるだろう。最近ねじ筋とさじ力が弱ってきてるぞ。人間山よ。
« 2006年06月 | メイン | 2006年08月 »
うちのヒトはしやわせな生き物だ。
トリの顔を見るたびに「朝っぱらからこのびよびよちゃんめー」などとのーてんき甚だしい。われら4羽がそろってぴよぴよ鳴くから毎朝日が昇るとゆーことも、いまだに知らないらしいのだ。この分では、地球がすべてこの双肩にのってるから、ねじが気を抜いてそう簡単に痩せるわけにいかないことなんか、そーぞーもできないのだろうな。
もっと感受性を鍛えたまえ。身体も心も使わないと衰えるだろう。最近ねじ筋とさじ力が弱ってきてるぞ。人間山よ。
さて、しやわせとは何だろう。
最近幸せを感じたのは、と思い返すと、職場の引越し準備をしたときのことが浮かんでくる。金属のパーツをなくさないよう小さな袋にまとめて棚板にテープで貼りつけてから、ちょっと考えてそれに大きく黒々と「ねじ」と書いたのだ。あのときの充実感はほかではそうはないものだった。
書いていて自分が幸せなのかかわいそうなのかよくわからなくなってきたが。
不自然な間の後、つと、いやに熱を入れてボレー粉をぎしぎし噛んだり(はて、君はそんなにボレー粉が好きだったかね?)。前には興味のなかったはずの止まり木を、自分の体重を支えられなくなるくらいまで細く細くかじったり(それも決まって隣のケージ側だけ)。何ごとかを熱くアピールしているようなしていないような、最近まあとにかく驚くほど挙動不審なねじと、それを面白そうにながめるギイ。
この青びよと緑びよの間で何かが始まっているのだろうか? ケージ越しでなくなっても大丈夫だろうか? 果たしてそれは成就するのだろうか? すべてビビリーノ・ねじにかかっているような気がするなあ(思えばここまで良く慣れたものだ)。