ねじのいない日6
ねじの不在にも、ああ何ということだ、慣れてきてしまった。でもちゃんと向きあうことはできなくて、まだヒトはねじの死のまわりを近づいたり遠ざかったりしながらただぐるぐるとまわっているだけだ。とは言うものの、今朝は「自分がつらい」ことのほかに何か書きたいと思うので、こんなところに迷い込んでくるトリありトリなしの奇特な方々のしやわせを祈りたく存じます。良い一日でありますように。良いトリたちでありますように。
さじさんはあれほど抵抗を示していたメエギイとの放鳥にもだいぶ慣れて、健気にもあまりヒト側にすがって来なくなった。だけど外でのんきに羽づくろいなどしているとすばしこいメエギイにあっという間に自宅をのっとられてしまうよ(が、まだ事の深刻さに気づいていない写真)。メエギイも昔よりだいぶまるくなって、もうさじの退路を完全に断ったりしない。トリはヒトの予想以上に柔軟だった。
あれはさじのうちなのに。
がんばって取り返して安堵。メエは憮然としている。
今週のねじの花。竜胆の青はねじの背中と腰の色だ。
最近繰り返すのはTomovskyの「脳」と「骨」ばかりで、言い得て妙とはまさにこの歌あの歌。自分を笑える限りヒトは大丈夫だと思いたいですよ。