小さな庭に向かう二十畳ほどの座敷の隅に座って、ヒトはぼんやりしていた。こじんまりした庭木には人の手がきちんと入っていて緑の色が濃い。夏のような強い日差しが箒の目の通った砂の上に落ちているけれど、開け放した戸から入ってくる風はいい具合にまだ涼しい。空の色はだんだん薄くなっていく。まあ悪くはあるまい。もう何度目か分からなくなってるけれど、そんなことをまた考える。
と。
濡れ縁から落ち着いた足取りでのっそりと座敷にあがってきたのは、大きなシマの猫だった。その口元からは、何ということだ、茶色いすずめのつばさが半分のぞいているのが一瞬で見て取れた。一度直視してしまって、もう二度と見返さないことにする。
座敷にはほかにも何人か座っていたのだけれど、トリ飼いはほかにはいなかったようだ。猫は人の間をぐるぐるとまわる。きゃあと誰かが言って「見せに来たんだ」とまた誰かが言って、まあ猫のやることだからしかたあるまいねとみんなが思っている。ヒトはあまりの間の悪さに動揺して、ここは憤慨すべきところかどうかしばし真剣に考えた。
でも、あんまりだけどこんなものだよ。
バランスを取るために行きずりの猫を憎むこともできたけれど、そんな気持ちにはならなかった。分類不能な状況や感情に面したときに、「おもしろい目にあっている」というタグをつける習わしはいったいいつから身についたのだろうね。あれもひとつの、これもひとつの命だ。
そこで名前を呼ばれてヒトは立ち上がったので、その後猫とすずめがどうしたのかは分からない。「火事場の馬鹿力で生き返らないかと思う」というそれそのまんまの歌(たま「牛乳」)が脳裏に流れるのではないかと少し前から恐れていたのだが、結局そんなことは忘れていた。
そう、晴れて暑いくらいの午後だった。あの翌日の話である。