病気のことが分かってからねじがこの世で暮らした日数より、ねじがいなくなったその後の日々の方がもう長くなってしまった。驚くべきスピード、驚くべき希薄さで時間は流れていく。
職場は職場、ウチはウチ、で気分を切り替えてヒトはずっとやってきたはずだった。もともとヒトはあそこでは象が踏んでもこわれないくらいに思われている。家では時々まだ泣くけれどそれはそれだけのことだと思っていた。というわけで、昨日はつい魔が差したのだろう、遅い時間にひとりでぼんやりと働いていて、ふとねじの最後の日の動画を見てみることにしたのだ。
粟の穂をかじるトリを上から見下ろしている。その前日から調子がうんと悪くなって、それはヒトが気をつけてやれなかったせいだった。寝て起きてを繰り返し、意識が戻ったらそれでも食べよう食べようとしていて、それは本当にもう危機的な状態になっていたからで。この後結局半日しかトリは生きられなかった。ヒトはトリのためにもう何もできやしない。そこまでするする考えてしまったら、前触れもなくぱたぱたと軽い音を立てて手元に涙が落ちてきた。
ああやってしまったね。やっぱり平気になぞなっていなくてそれは当たり前のことだった。広げてしまった風呂敷の角をあわてて夢中で寄せ集めて引っくくって、さあここから今は逃げていこう。こんなときには、そうこんなときこそ、鼻歌を。
夏の夜空を見上げれば
北斗の七つ星
ぐるぐる渦巻いてこぼれちゃう
ひかりのしずく
帰って玄関を開けたら花のにおいがした。見ると、今朝はまだとがったつぼみだらけだったフロックスが景気よく咲いている。しげしげとながめていたら花のつけねはうす赤色で、つぼみが頭の筆毛に見えてきた。開いた白の花は、亡くなる前のトリのふさふさした後ろのつむじによく似ている。いくつものいくつものいくつもの白いつむじだ。一昨日店頭にめぼしい青の花がなくてまあいいかと買ってきたにしては、上出来のお花ではありますまいか。
ハァおばけちゃん
ゆうれいさん
ちょいと帰ってきてちょうだい
どこかで息をひそめてる
みんなもついでに
ほーい、ほーい 出ておいで
ねじがいなくなった後、ヒトは花を飾って、毎朝そこに粒餌と粟の穂と青菜と水を供えている。われながららしからぬことをやっている、という自覚はあるが、気持ちの行き場を一箇所にまとめておいて何かすることの手順を決めておくと、確かに落ち着く部分がこのヒトにもあるのだった。それでお墓や何やの効用についていまさらながら感心したりもすることがあって、この歳でそんな自分はやはり人間としていかがなものかと思わぬでもないけれど、それはまた別のお話。
かえる みみず おけら もぐら
ねずみ むかで とかげ げじげじ
げじげじと一緒にしたって、まあねじは怒るまいよ。
ちょいとしゃがんでのぞいて見た
お花のまん中に
ちょこんとしゃがんで見えるのは
オヤわたしの背中
「ひとだま音頭」知久寿暁